【かっぺ星人波乱万丈伝 vol.1 】かっぺ星人、小学校3年の冬。
4年生から始まる部活動の入部届提出の日。
私は『音楽部』と書かれた入部届を担任の先生に出した。
するとそれを見た先生が驚いてこう言った。
「かっぺさん、足速いんだからバスケット部に入った方がいいと
思うんだけどな」
その一言で心の中で封印しかけた思いが一気にはじけた。
私は先生にいったん出した入部届を自ら破り、
『バスケットボール部』と書き直して先生に提出した。
「お母さんにちゃんと説明できる?」
そう聞いた先生に向かって私は力なげに笑ってこう答えた。
「大丈夫…だと思います。多分。」
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私は今となってはあまり信じてもらえないが、「病弱」だった。
1歳の誕生日は病院で迎えた。肺炎。
その後成長しても、すぐ風邪をひいて倒れる「か弱さ」だった。
母は病院と自宅の往復が常だった。
足は速い方だったが、ころびやすく、しょっちゅうあざを作っていた。
小学校2年生の春、私は突然手足が動かなくなった。
数日前から爪の先から皮がぺろぺろと剥けてくるなぁと不思議に
思っていた矢先、急に力が入らなくなり、起き上がることもできない。
さらに熱もあがり始めた。
私は焦った。それ以上に母は焦った。
すぐに病院へ運び込まれ、緊急入院。
射しっぱなしの点滴。度重なる検査。
しかしどれだけ調べても原因がわからない。
そのうち徐々に手足も普通に動くようになり、体調も快復。
約1ヶ月後、退院。
医師にも本当の原因はわからないまま、
カルテには『関節炎』と記された…。
同じ年の秋頃だろうか。
今度は二段ベッドの上から落ちて耳を切った。
寝相が悪いのでたいてい姉が上で寝ているのだが、この日に限って
上の段で寝ていたのだ。
そして案の定落ちた。
私ははしごで耳を少し切り、嘔吐して泣き叫んだ。
両親は焦った。
だがしばらくして落ち着いたので母は自分の布団に私を寝かせた。
翌日、私は何も覚えていなかった。
なぜここにいるのか。なぜ耳が痛いのか。
その部分だけ記憶がとんだのだろうか。
いまだに分からない…。
3年生になって『側弯(そくわん)症』であることが判明した。
簡単に言うと【背骨が曲がっている】ということ。
小学校で誰もが検査するあの検査でまず姉がひっかかった。
それで母が私も見てみたらなんと私の方がひどく曲がっていた。
姉は身長の伸びと共に標準値に戻ったが、私の方は結局高校まで
定期的に通院することになってしまった。
値が手術せねばならない値の一歩手前くらいだったので
コルセットを作り、昼間は大変だからと夜だけつけて寝る。
やっぱりそんな中途半端な治療では治らず、結局身長の伸びる時期を
終え、私の背骨は曲がったまま、現在に至る…。
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そんな病弱ぶりを思う存分いやというほど発揮していた幼少期。
でも私は運動が好きだった。
走ることが好きだった。
何でもいい、走るスポーツがしたかった。
部活動選択の際、母は一言で片付けた。
「ただでさえ病弱なあんたが運動部なんかできるわけないじゃない」
私は自分の思いを心に閉じ込め、入部届に『音楽部』と書いた…。
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「何してるの!!無理だって言ったでしょ!あんた自身がよく
分かってるでしょ!!」
案の定、母は怒った。相当怒った。
でも私の決意は固かった。
「だってバスケやりたいんだもん!!もう出しちゃったもん!!」
そう言った瞬間、私は頬を思い切りひっぱたかれた。
「今までどんだけ心配させてきたと思ってるの!バスケはお母さん
昔やってたから厳しさなんて分かってる。あんたには絶対無理!!」
私は泣いた。
ひっぱたかれて痛かったからじゃない。
自分の気持ちがわかってもらえないつらさに泣いた。
母の言ってることがあってることは分かってる。
でもそれ以上にその時の私の意志は強かったのだ。
私は粘った。
そして三日後、母は初めて私の意志に負けた…。