今日はかっぺ星に来て初めてバスケをしました♪
見つけたのはママさんチームなんだけど、
チーム登録もしてるから大会にも出ちゃうの。
私より年上のママさん(一番上は、中学生の息子を持つママ)
がほとんどなのですが、よ〜く走るしシュート率がとっても高い!
ぴょんぴょん入れちゃいます!
その中でかっぺ星人はちと甘く見てました… (- -;)。
…見事に玉砕。ってか自滅?
ここ数ヶ月ぐだぐだ生活をしていたせいで体力ゼロ。ママさん
たち以上に走れず、さらに今まで使っていた7号ボールと違って
小さくて軽い6号ボールに最後まで慣れず、
フリーのシュートまで外しまくりました。
そんなかっぺ星人なのにママさんたちは、
「まぁ徐々に慣れていけばいいよ〜」
と笑顔で言ってくれました。ううっ…。がんばろう。来週こそは!
と、前置きが長くなってしまったので、本編は短めに、バスケの
お話をしていきましょう。
【かっぺ星人波乱万丈伝 vol.2 】3日間粘ってようやく許してもらえたバスケ。
でもその厳しさは私や母親の想像をはるかに越えていた。
うちの小学校は当時はスポーツにすごく熱心な先生がいて
各部活共、かなり熱が入っていた。
特に「走る」ということ。
バスケが走るスポーツであるのは当然だが、そのしごかれ方は
ハンパじゃなかった。
毎週土曜日は『恐怖の1キロ走』。
全ての運動部が集まり、1キロのタイムを競うのだ。もちろん
勝負である。しかもひどい時には自分のベストタイムを
切らなくてはもう一度走らされることだってあった。
各グループで上位に入らないともう一度、という日も。
そんなことをしているからうちの小学校は区の持久走大会で
男女総合5連覇だか6連覇だかを成し遂げていた。
私もその選手として選ばれていたのだが、本当に吐きそうになるくらい
厳しい練習で、近くに大型緑地公園があることを毎年のように
恨んでいた。
もう一つ力を入れていたこと。それは『なわとび』。
長い放課になるとなわとび好きの生徒が朝礼台周りに集まり、
なわとび大会が開催されていた。それは遊びとしてだったが、
我がバスケ部には難関課題が課せられていた。それは、
【三重跳び30回以上できなければ体育館に来るな】
二重跳びじゃない。三重跳びだ。今の時代でそれができる小学生は
どれくらいいるのだろう。
私達は半泣き状態で夕方、日が暮れるまでひたすら跳びまくった。
そしてできた者から順にようやくボールに触れたのだ。
中学に入ると鬼コーチが待っていた。バスケの名門、能代高校出身の
若い男コーチだ。誰が呼んだのか知らないが、私が入った時には
すでにいた。すでに暴力し放題だった。男女構わず。
ある日、男子部員がミスをした。コーチは怒りまくり、彼を
蹴り倒し、起き上がってきたところをまた蹴り、を繰り返して
コートを一周した。
そんなことが日常茶飯事に行なわれていた。
そしてそれを顧問の先生は見てみぬふりをしていた。
ある日、コーチが1年生の私を呼び、2年の先輩と1対1をするよう
命じた。なぜそうなったのか覚えてないが、とにかく必死だった。
負けた方が殴られる。そんな重圧で、私も先輩も必死に戦った。
その時だった。
ゴキッ!
リバウンド勝負でもつれ合った時に変な音が。
見ると私の右手小指が変な方向へ曲がっている。
ぎゃ〜!!
私は痛みよりもその曲がった指にショックで声をあげた。
それで勝負は終わった。何も言わずコーチは去っていった。
その後病院へ行ったら骨折はしていないとのこと。固定してもらって
「安静にしてるように。バスケなんてやっちゃだめ」
といわれたにも関わらず、『指一本で休む』という事実をコーチに
告げる恐怖に勝てず、私はテーピングをしながら練習を続けた。
そして指は元通りにはならなかった…。
だが私にとって中学で一番つらかったのはコーチじゃなかった。
チームメイトからのいじめ。
先輩や後輩はよかった。いつの頃か、急に同級生のチームメイト
みんなから無視されるようになった。
バスケはチームプレーだからバスケをしている間は普通に接する。
でもそれ以外では全くの無視。
小学校から一緒に頑張ってきた仲間が首謀者だった。
なぜそうなってしまったのかはいまだに分からない。
さらにいつのまにかキャプテンを押し付けられた。
みんなはコーチと、私はコーチと仲間、両方と戦っていた。
そして私達は3年になった時に反乱をおこした。
親、先生を巻き込んでコーチの横暴を訴え、ついに退任させたのだ。
みんなは喜んだ。
でも私の戦いはここからだった。
コーチがいなくなったことで、顧問の頼りない先生の指導で
練習はだらだら。しまいには男子部員まで私のことを冷笑する。
仲間達は無視こそしなくなったものの、キャプテンの私を
影であざ笑い、私の言うことを聞くのは後輩だけだった。
今にもつぶれそうな私を支えてくれたのはクラスメイトの親友だった。
彼女がいなければ、私はとっくにバスケをやめ、不登校にすら
なっていたかもしれない。
私はこの時、友情の大切さを心の底から実感した。
高校入学。
中学でのつらい経験のせいで私はもうバスケはやらないつもりだった。
小・中学時代の持久走大会の実績をみられ、県上位の陸上部から
お誘いの声が入学前にかかり、私は試しに長距離グループの
練習に参加。
そして一日でKOされた。即辞退…。
運がいいのか悪いのか、1年生の担任の先生がバスケ部の顧問だった。
女性ながら、男勝りのかっぷくのいいおばちゃん。もちろん独身。
全校生徒だけでなく、先生達も、はたまた他校の先生達ですら怖がる
鬼監督として名を広めていた先生に、半ば強引に誘われ結局バスケ部へ。
ここでも体罰が待っていた。女監督と思ってはいけない。
これは男だ。
プロレスラーだ。
それくらい破壊力のあるビンタや蹴りだった。
出血することもざら。
今でも鮮烈に覚えているリンチ。
ある日の大会予選でのこと。
二階観覧席では恒例となった母親たちの応援団がいる。
私の母親もその中にいてひときわ大きな声で応援していた。
接戦をしていた前半試合終了のホイッスルがなる直前、
チームメイトがミスをした。
監督の表情が変わった。
(やられる!)
ベンチにいたメンバー全てが察しただろう。でも待て、上には
彼女の親もいる。まさか親の前でやらないよね?そんな少しの
期待も次の瞬間飛んだ。
「ロッカールーム集合。」
ロッカールームでの彼女への壮絶な体罰。あれはもうリンチだ。
長髪を二つに結んでいた彼女の髪を握り締め、監督は何度も
ロッカーへ頭を打ち付けた。泣きながら謝る彼女の頬を平手打ち。
彼女は吹っ飛んだ。そして鼻血を出した。
それでも怒りはおさまらない。
周りで見ている私達は、ただただハーフタイムが早く終わることを
ひたすら願うしかできなかった。
そして後半、絶対ミスしない!こんなことされたくない!
その日の試合は後半の私達の猛攻撃により、大差で勝利をおさめた。
このように私の高校は技術うんぬんじゃなく、
「怒られたくない!」その思いだけでバスケをしていた。
それで地域の大会ではベスト3にほぼ毎回入っていた…。
**************************************************************
今の時代なら即教育委員会で問題になるような体罰も当時は
平気で行なわれていたんですね〜。
そんなバスケ歴をもつ私も、社会人になって自分で作ったチームでは
『楽しくやるバスケ』をテーマに、初心者から経験者まで交じった
チームで、ほんとに楽しくやってました。
社会人になって、ようやく【バスケの楽しさ】を知ったんですヨネ♪
はぁ、長くなっちゃったぁ。