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Author:かっぺ星人
人生のテーマは、「自画自賛」
私には『笑いの神様』がついている!!

<かっぺ家のゆかいな仲間たち>

★かっぺ星人: 
   はい、私のことでございます。
★かっぺ主人: 
   愛すべき旦那様♪
★花: 
   かっぺ主人になつかない
   愛犬。M.ダックスのメス2歳。
★たっくん: 
   実はかっぺ家の主?
   ミドリガメ。体長15センチ。
★ポコ&ペン: 
   コッピーというメダカのような
   お魚ちゃん。
★タニーくん: 
   いつの間にかポコペン水槽に
   棲みついたタニシ。

☆かっぺ母ちゃん: 
   かっぺ星人の実母。
☆かっぺ新父ちゃん&新母ちゃん: 
   かっぺ主人の実両親。

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かっぺ星人と雪。

本日の最高気温が0度のかっぺ星よりおはようございまっす

まだ雪は少ないものの(今積雪20cm位?)、気温はどんどん下がっています。
週間天気予報を見ると、明日明後日くらいから最高気温がマイナス○度、という
名古屋人には考えられない寒さになるみたいです

今朝もジャンパーの上にダウンジャケットを羽織り、雪国仕様の長靴を履いて
雪だるまみたいな格好でごみ捨て行ってきました。
(上着着なくても雪だるまみたい、って思った?・・・こらぁーーーー!!


ひまわり大好き夏大好き冬大嫌い
かっぺ星人にとって「忍耐力」を試される季節の到来です



そもそもかっぺ星人、「雪」が嫌いです。

「わぁ〜雪が降ってきたぁ〜
          雪積もるかなぁ?ワクワクッ


「雪降ると寒いけど、○○くんと一緒にいるから・・・あったかいネ

なぁんてかわいいセリフを言える歳はとっくに過ぎ去り・・・


スキーやスノーボードをやる人にとってはうらやましいのかもしれないけど、
かっぺ星人は去年、スノーボードを引退したばかり。

引退といっても、始めたのは21の時で、それ以後1シーズン2回行くか
行かないか、程度しかやってないので全く「ど下手」です

というか、「ボードの楽しさ」を知ることができなかったので引退したって
とこでしょうか。

逆に痛い目を見た方が多かったかも・・・。

1年目はひたすら転んで、あざ作って、足がつって・・・おまけに崖から
落ちそうになるなど、つらい記憶のみ。

2年目、サークルの合宿でみんなと行って、少しずつ滑れるようになってきた。
でもスキーヤーとぶつかり、右足を脱臼して担架で「死体」のように
ビニールに包まれ運ばれた。年末年始を松葉杖ついて過ごす羽目に。

3年目は就職した会社の人たちと行った。
帰りの高速道路走行中、道路にあった「穴」で車がはずんだ勢いで
上(キャリア)に積んであった数枚の板(ボード)が外れ、後ろへ飛んでいった。
たまたま走行車が少なかったからよかったものの、あわや大惨事となるとこ
だった。

最初の3年でそのようなことが立て続けに起こった為、かっぺ星人のやる気
モードは一気に落ちていったのでした・・・

唯一良かったことは、この前、傷だらけのボードセット(板・ブーツ)を
リサイクルショップに持っていったら、1000円で買い取ってくれたこと!
あの数々のつらい想い出を持つボード、誰に買ってもらえるのかな?
今度はうまい人に乗ってもらえるといいね


そんなこんなでスノーボードは引退しました!

それと同時に「雪山」も卒業したかったのに、なぜか「雪国」に来ちゃった



そうそう、今朝かっぺ星人が起きた時(6時前)、まだ外は暗かったのですが
その時間にせっせと大家さん(おじいちゃん)が駐車場の雪かきをしてくれて
いました

大家さんとはいえ、ほったらかしの人もいるのに、こんな朝早くからやって
くれて感謝感謝です
ちょっぴりあったかい気持ちになりました!ありがとうございまーす

怖がりなかっぺ星人。

どうもこんばんは♪ (^∇^)/
今日はかっぺ主人が夜勤でいないため、一人ぼっちのかっぺ星人です。
ちなみに今日の晩御飯は、【パン】でした…。
食べてくれる相手がいない日に自分のためだけに料理する気に
なんてなれませんよね(笑)?ね?世の奥様方!


先日、前に勤めていた会社の後輩がアパートの鍵をいたずらされた、
と聞きました。不幸中の幸いか、鍵穴を埋められただけで済んだ
ようですが、「治安が悪いから引っ越す!」と言ってました。

確かに名古屋の比較的真ん中に住んでる彼女。
治安はいいほうではないかもしれません。
でも、かっぺ星人にとっては、外国ほどではないけど、日本だって
もはや【治安のいい場所】なんて言い切れる場所はないのでは
ないかと思います。

どこにいてもやられる時はやられる。


【かっぺ星人波乱万丈伝 vol.3】


かっぺ星人、高校2年の春…。

いつものように厳しいバスケの練習を終え、くたくたの状態で
駅から家までの距離を自転車で走っていた時のことだった。

時刻は夜の8時半頃。
実家は名古屋市内といえども、住宅街だったので
その時間になると周辺には人影もなく、ところどころに電灯が
薄暗くついているだけだった。

さらに、家までの道のりはゆるやかな上り坂になっている。
疲れ果てた体には、その坂を一気に上る体力はすでに残されていない。
歩くスピードと同じくらいゆっくりゆっくりペダルをこいでいた。

家まであと50m。

その時だった。


 タッタッタッ


背後に人の走る足音が聞こえた。

‘ジョギング?’

そう思って後ろを振り向いた瞬間、

 !!!

私は突然後ろから何者かに口をふさがれた。
そいつは片手で口を、もう一方の手で私の首をつかんだ。

 ガシャーン!

乗っていた自転車が倒れ、周囲に響き渡った。

それでも誰も出てこない。

私は必死だった。必死に抵抗して、口をふさいでいた手が少し
離れた瞬間に大声を出した。

「ああぁーーー!!!」

私にとっては精一杯の大声だったが、実際にはおそらく
家でテレビをつけていては全く聞こえないくらいの音量だったのだと
思う。それでも私は心で叫び続けていた。

 誰か!気づいて!!


その時だった。

 ワンワン!!  ワォーン!!  ワン!!ワン!!

犬がほえ始めたのだ。
近所中、至る所で飼われている犬たち。
人間は気づかなくても、耳が敏感な彼らに私の声が届いたのだ!

次の瞬間、犯人はぱっと手を離して後ろへ走って逃げていった。
私はしばらく呆然とその場に座り込んでいた…。


それだけ犬たちが吠えていても、近所の人たちは誰も出てきさえもしない。

しばらくたって私はゆっくりと自転車をおこして自宅へと帰っていった。


家に着き、母の顔を見た瞬間、一気に涙がこみあげてきて私は
泣きながら母に話した。

その後、母が警察を呼び、私は数人の警察官から事情聴取を受けた。
だが全て背後からやられていたため、犯人の顔を見ていない。

自分がずっと住んできた町で起こったこと。
しかも家からすぐ近く。
顔見知りなのか、通り魔的犯行なのか。
いずれにしろ、犯人はもしかしたら今隣に座っている人かもしれない、
そんな思いがその後しばらく続いた。

人生初の被害届。

私の首には、その後1週間、犯人の指の跡が残っていた。

その日以来、私は人の何倍も夜道を怖がるようになった…。





かっぺ星人がこの世に生きてきてもうすぐ30年。

人生の3分の1ほどの年数だけど、この間に警察に被害届を出した数、
なんと4回!

大学のサークルの帰り道に車の中で男に襲われかけて1回。
友達の家に泊まりに行って車上盗難で1回。
などなど…。

自分でもどうしてこんなに狙われるのか、不思議でしょうがない。

母親に言わせると、
「あんたにスキがあるんだよ」
と。

確かにそれもあるのかもしれない。
心の奥にわずかにできたスキを犯罪は見逃さない。

普通の人がめったに経験できないことを4回も経験した私。
運が悪ければ、この内の1回だけで命を絶たれてしまう人だっている
中で、私は運がよかったのかもしれない。

でも何か起こる度に、親に心配させてきた私。
母を、他の誰よりも心配性にさせてしまったのはこの私。
だからこそ、もう二度とこんな心配かけさせたくない。


***********************************************************

どこにいてもやられる時はやられる。

ピッキングに遭ったマンションは、名古屋でも治安が最良と
言われていた地域でした。周辺は夜でもそこそこ明るいし、
なにより、ピッキングの犯行自体、昼間に行なわれたんですから。

そして今住んでいるかっぺ星でもつい最近、全国的に話題になった
殺人事件がありました。
事件なんてありえないような、のどかな田舎町で…。


犯罪に遭うことを【運】という言葉で片付けてはいけないと思います。
大事に至ってないから、命奪われたりしてないから「運がよかった」
って言える。
でももしあなたの大事な家族が犯罪に巻き込まれて命を奪われたら…
「運が悪かったね。」
って簡単に言えますか?

自分の身は自分で守るしかない。
スキを作った方が負ける。

嫌な世の中になりましたね…。

今、こうして元気に一日一日過ごせることを、心から感謝して
生きていきたいと思います。





かっぺ星人とバスケ。

今日はかっぺ星に来て初めてバスケをしました♪
見つけたのはママさんチームなんだけど、
チーム登録もしてるから大会にも出ちゃうの。
私より年上のママさん(一番上は、中学生の息子を持つママ)
がほとんどなのですが、よ〜く走るしシュート率がとっても高い!
ぴょんぴょん入れちゃいます!
その中でかっぺ星人はちと甘く見てました… (- -;)。

…見事に玉砕。ってか自滅?
ここ数ヶ月ぐだぐだ生活をしていたせいで体力ゼロ。ママさん
たち以上に走れず、さらに今まで使っていた7号ボールと違って
小さくて軽い6号ボールに最後まで慣れず、
フリーのシュートまで外しまくりました。
そんなかっぺ星人なのにママさんたちは、
「まぁ徐々に慣れていけばいいよ〜」
と笑顔で言ってくれました。ううっ…。がんばろう。来週こそは!

と、前置きが長くなってしまったので、本編は短めに、バスケの
お話をしていきましょう。


【かっぺ星人波乱万丈伝 vol.2 】

3日間粘ってようやく許してもらえたバスケ。
でもその厳しさは私や母親の想像をはるかに越えていた。

うちの小学校は当時はスポーツにすごく熱心な先生がいて
各部活共、かなり熱が入っていた。
特に「走る」ということ。
バスケが走るスポーツであるのは当然だが、そのしごかれ方は
ハンパじゃなかった。
毎週土曜日は『恐怖の1キロ走』。
全ての運動部が集まり、1キロのタイムを競うのだ。もちろん
勝負である。しかもひどい時には自分のベストタイムを
切らなくてはもう一度走らされることだってあった。
各グループで上位に入らないともう一度、という日も。
そんなことをしているからうちの小学校は区の持久走大会で
男女総合5連覇だか6連覇だかを成し遂げていた。
私もその選手として選ばれていたのだが、本当に吐きそうになるくらい
厳しい練習で、近くに大型緑地公園があることを毎年のように
恨んでいた。

もう一つ力を入れていたこと。それは『なわとび』。
長い放課になるとなわとび好きの生徒が朝礼台周りに集まり、
なわとび大会が開催されていた。それは遊びとしてだったが、
我がバスケ部には難関課題が課せられていた。それは、
【三重跳び30回以上できなければ体育館に来るな】
二重跳びじゃない。三重跳びだ。今の時代でそれができる小学生は
どれくらいいるのだろう。
私達は半泣き状態で夕方、日が暮れるまでひたすら跳びまくった。
そしてできた者から順にようやくボールに触れたのだ。

中学に入ると鬼コーチが待っていた。バスケの名門、能代高校出身の
若い男コーチだ。誰が呼んだのか知らないが、私が入った時には
すでにいた。すでに暴力し放題だった。男女構わず。
ある日、男子部員がミスをした。コーチは怒りまくり、彼を
蹴り倒し、起き上がってきたところをまた蹴り、を繰り返して
コートを一周した。
そんなことが日常茶飯事に行なわれていた。
そしてそれを顧問の先生は見てみぬふりをしていた。

ある日、コーチが1年生の私を呼び、2年の先輩と1対1をするよう
命じた。なぜそうなったのか覚えてないが、とにかく必死だった。
負けた方が殴られる。そんな重圧で、私も先輩も必死に戦った。
その時だった。
ゴキッ!
リバウンド勝負でもつれ合った時に変な音が。
見ると私の右手小指が変な方向へ曲がっている。
ぎゃ〜!!
私は痛みよりもその曲がった指にショックで声をあげた。
それで勝負は終わった。何も言わずコーチは去っていった。

その後病院へ行ったら骨折はしていないとのこと。固定してもらって
「安静にしてるように。バスケなんてやっちゃだめ」
といわれたにも関わらず、『指一本で休む』という事実をコーチに
告げる恐怖に勝てず、私はテーピングをしながら練習を続けた。
そして指は元通りにはならなかった…。

だが私にとって中学で一番つらかったのはコーチじゃなかった。
チームメイトからのいじめ。
先輩や後輩はよかった。いつの頃か、急に同級生のチームメイト
みんなから無視されるようになった。
バスケはチームプレーだからバスケをしている間は普通に接する。
でもそれ以外では全くの無視。
小学校から一緒に頑張ってきた仲間が首謀者だった。
なぜそうなってしまったのかはいまだに分からない。
さらにいつのまにかキャプテンを押し付けられた。
みんなはコーチと、私はコーチと仲間、両方と戦っていた。

そして私達は3年になった時に反乱をおこした。
親、先生を巻き込んでコーチの横暴を訴え、ついに退任させたのだ。
みんなは喜んだ。
でも私の戦いはここからだった。
コーチがいなくなったことで、顧問の頼りない先生の指導で
練習はだらだら。しまいには男子部員まで私のことを冷笑する。
仲間達は無視こそしなくなったものの、キャプテンの私を
影であざ笑い、私の言うことを聞くのは後輩だけだった。
今にもつぶれそうな私を支えてくれたのはクラスメイトの親友だった。
彼女がいなければ、私はとっくにバスケをやめ、不登校にすら
なっていたかもしれない。
私はこの時、友情の大切さを心の底から実感した。

高校入学。
中学でのつらい経験のせいで私はもうバスケはやらないつもりだった。
小・中学時代の持久走大会の実績をみられ、県上位の陸上部から
お誘いの声が入学前にかかり、私は試しに長距離グループの
練習に参加。
そして一日でKOされた。即辞退…。

運がいいのか悪いのか、1年生の担任の先生がバスケ部の顧問だった。
女性ながら、男勝りのかっぷくのいいおばちゃん。もちろん独身。
全校生徒だけでなく、先生達も、はたまた他校の先生達ですら怖がる
鬼監督として名を広めていた先生に、半ば強引に誘われ結局バスケ部へ。

ここでも体罰が待っていた。女監督と思ってはいけない。
これは男だ。
プロレスラーだ。
それくらい破壊力のあるビンタや蹴りだった。
出血することもざら。

今でも鮮烈に覚えているリンチ。
ある日の大会予選でのこと。
二階観覧席では恒例となった母親たちの応援団がいる。
私の母親もその中にいてひときわ大きな声で応援していた。
接戦をしていた前半試合終了のホイッスルがなる直前、
チームメイトがミスをした。
監督の表情が変わった。
(やられる!)
ベンチにいたメンバー全てが察しただろう。でも待て、上には
彼女の親もいる。まさか親の前でやらないよね?そんな少しの
期待も次の瞬間飛んだ。
「ロッカールーム集合。」

ロッカールームでの彼女への壮絶な体罰。あれはもうリンチだ。
長髪を二つに結んでいた彼女の髪を握り締め、監督は何度も
ロッカーへ頭を打ち付けた。泣きながら謝る彼女の頬を平手打ち。
彼女は吹っ飛んだ。そして鼻血を出した。
それでも怒りはおさまらない。
周りで見ている私達は、ただただハーフタイムが早く終わることを
ひたすら願うしかできなかった。
そして後半、絶対ミスしない!こんなことされたくない!

その日の試合は後半の私達の猛攻撃により、大差で勝利をおさめた。

このように私の高校は技術うんぬんじゃなく、
「怒られたくない!」その思いだけでバスケをしていた。
それで地域の大会ではベスト3にほぼ毎回入っていた…。

**************************************************************

今の時代なら即教育委員会で問題になるような体罰も当時は
平気で行なわれていたんですね〜。

そんなバスケ歴をもつ私も、社会人になって自分で作ったチームでは
『楽しくやるバスケ』をテーマに、初心者から経験者まで交じった
チームで、ほんとに楽しくやってました。

社会人になって、ようやく【バスケの楽しさ】を知ったんですヨネ♪

はぁ、長くなっちゃったぁ。





ちっちゃなかっぺ星人。

【かっぺ星人波乱万丈伝 vol.1 】

かっぺ星人、小学校3年の冬。

4年生から始まる部活動の入部届提出の日。
私は『音楽部』と書かれた入部届を担任の先生に出した。
するとそれを見た先生が驚いてこう言った。
「かっぺさん、足速いんだからバスケット部に入った方がいいと
思うんだけどな」

その一言で心の中で封印しかけた思いが一気にはじけた。
私は先生にいったん出した入部届を自ら破り、
『バスケットボール部』と書き直して先生に提出した。

「お母さんにちゃんと説明できる?」
そう聞いた先生に向かって私は力なげに笑ってこう答えた。

「大丈夫…だと思います。多分。」

************************************************************

私は今となってはあまり信じてもらえないが、「病弱」だった。
1歳の誕生日は病院で迎えた。肺炎。
その後成長しても、すぐ風邪をひいて倒れる「か弱さ」だった。
母は病院と自宅の往復が常だった。
足は速い方だったが、ころびやすく、しょっちゅうあざを作っていた。

小学校2年生の春、私は突然手足が動かなくなった。
数日前から爪の先から皮がぺろぺろと剥けてくるなぁと不思議に
思っていた矢先、急に力が入らなくなり、起き上がることもできない。
さらに熱もあがり始めた。
私は焦った。それ以上に母は焦った。
すぐに病院へ運び込まれ、緊急入院。
射しっぱなしの点滴。度重なる検査。
しかしどれだけ調べても原因がわからない。
そのうち徐々に手足も普通に動くようになり、体調も快復。
約1ヶ月後、退院。
医師にも本当の原因はわからないまま、
カルテには『関節炎』と記された…。

同じ年の秋頃だろうか。
今度は二段ベッドの上から落ちて耳を切った。
寝相が悪いのでたいてい姉が上で寝ているのだが、この日に限って
上の段で寝ていたのだ。
そして案の定落ちた。
私ははしごで耳を少し切り、嘔吐して泣き叫んだ。
両親は焦った。
だがしばらくして落ち着いたので母は自分の布団に私を寝かせた。
翌日、私は何も覚えていなかった。
なぜここにいるのか。なぜ耳が痛いのか。
その部分だけ記憶がとんだのだろうか。
いまだに分からない…。

3年生になって『側弯(そくわん)症』であることが判明した。
簡単に言うと【背骨が曲がっている】ということ。
小学校で誰もが検査するあの検査でまず姉がひっかかった。
それで母が私も見てみたらなんと私の方がひどく曲がっていた。
姉は身長の伸びと共に標準値に戻ったが、私の方は結局高校まで
定期的に通院することになってしまった。
値が手術せねばならない値の一歩手前くらいだったので
コルセットを作り、昼間は大変だからと夜だけつけて寝る。
やっぱりそんな中途半端な治療では治らず、結局身長の伸びる時期を
終え、私の背骨は曲がったまま、現在に至る…。

************************************************************

そんな病弱ぶりを思う存分いやというほど発揮していた幼少期。

でも私は運動が好きだった。
走ることが好きだった。
何でもいい、走るスポーツがしたかった。

部活動選択の際、母は一言で片付けた。
「ただでさえ病弱なあんたが運動部なんかできるわけないじゃない」

私は自分の思いを心に閉じ込め、入部届に『音楽部』と書いた…。

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「何してるの!!無理だって言ったでしょ!あんた自身がよく
分かってるでしょ!!」

案の定、母は怒った。相当怒った。
でも私の決意は固かった。

「だってバスケやりたいんだもん!!もう出しちゃったもん!!」

そう言った瞬間、私は頬を思い切りひっぱたかれた。

「今までどんだけ心配させてきたと思ってるの!バスケはお母さん
昔やってたから厳しさなんて分かってる。あんたには絶対無理!!」

私は泣いた。
ひっぱたかれて痛かったからじゃない。
自分の気持ちがわかってもらえないつらさに泣いた。
母の言ってることがあってることは分かってる。
でもそれ以上にその時の私の意志は強かったのだ。
私は粘った。

そして三日後、母は初めて私の意志に負けた…。





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